沿革・伝説

沿革

創立年月日   ・・・ 不詳(平安時代末期か) 
明治六年    ・・・ 村社格を与えられる 
大正十年    ・・・ 阪急電車開通のため境内地が二分される

                                      ※想い出写真館参照
昭和十六年   ・・・ 御殿新築 落成 
昭和六十二年 ・・・ 社務所新築 落成 
平成七年    ・・・ 拝殿新築 震災復興 


鹿の鏡井戸~鹿塩にまつわる伝説~

伝説

昔奈良春日大社より一年に一度、牡鹿、牝鹿の背にお供物を負わせ、当神社に参拝するならわしとなっていた。ある年、神社の近くで牝鹿の姿が見えなくなった。
牡鹿は、嘆き悲しみ、八方探し求めたが見あたらない。日夜牝鹿を求めるあわれな姿、悲しみにうち沈んだ鳴き声に村人は大変同情し、共に探し歩く日々が続いた。


ある日、牡鹿は空腹と疲労に喉をうるおそうと井戸をのぞいた。その途端、牡鹿はさっと井戸に身を投じてしまった。水面に映った自分の姿を、探し求める牝鹿と見誤ったのであろう。
村人は牡鹿を哀れみ、鹿の屍を丁重に塩でとりまき、春日の宮に送り届けた。このことにちなんで村名を「鹿塩」と名付けることにしたそうである。

また、その日十月十一日を神社の秋祭りとし、今日まで続けて祭礼が行われている。
そして、誰言うとなくその日は、塩漬けにした物を一切口にしないという誓いがなされ、どの家も固く守ってきた。
ところがある年、西宮の浜で「このしろ」という魚の大漁があった。ある農家でこっそり「このしろ」の塩漬けを食べた。その日が十月十一日であった。夜半、にわかに烈風が巻き起こり、塩漬けを口にした農家より火の手があがり、その火はたちまちにして鹿塩全村を灰にしてしまった。

現在でも村のあちこちを掘ると、当時の大火のあとがはっきりわかるという。ー以上は口伝で確証づけるものは無い。
 しかし、伝説は味わえば味わうほど親しみがわき、一層、郷土に愛着を感じさせるものである。